蘭太郎 rantaro
本名 / 福永 るみ
出身 / 熊本県

絵にまつわる周辺事情
2010 ギャラリーにて
幼少より絵本愛読 幼稚園の学習時 父の絵を描くテーマあり 見なくては描けないと描けなかった(実際思い出せなかったのかもしれない) その後絵は模様を好み 想像では妖精など描くも 写生は好きではなく 想像を多少加える事が好きだった 11頃 ひとり遊び的な手の上のりんご図にはまる  こわい顔の追求になぜかはまる(後で思えば般若または龍顔のよなもの) マンガのような男子の切り絵は下書きなく絵を描く感覚 この頃 県立美術館開館し頻繁に絵画鑑賞。 中学の時の好み ゴッホと浮世絵。
17才 人体ファッションイラスト 通信で学ぶ。 金子國義氏の絵本愛読。
18才  東京モード学園入学。日常にイラストは描く。デザインをすぐに学べずその後休学。

1985 画学生の妹の油彩画モデル(その絵はくさかべ賞を取る)を務める頃油彩画を初めて描く
1988 油彩画あらためて独学始め 両親の会社で社員としてこの後10年ほど勤務
1989 上野の森美術館 日本の自然を描く展入選
1994〜99 作家と交流ある仕事の後に絵を描く日々 楽器の方が1990頃から本格的に集中していた(オーディオ道場片山氏に絵の印象を教わる)(交友の影響 ゴッホ展と書籍のやりとり 工業デザイナー 霊能者少女とのやりとり 陶芸家の個展主催 詩人女性の朗読 など)
1年程 両親経営の勤め先の一部で義弟(抽象 半抽象と現在陶芸の作家 坂本正文 独立展会友)の開いた絵画教室で自由に描くことを教わる
1995 熊日女性絵画展入選
2000 三味線(細棹)を諦めて絵に集中を始めて格闘ののちにこの頃より思うように描けることをようやく自覚 絵を描くことに改めて生きる意味を感じられほとんどどれも仕上げられるようになる
2001 父の末期ガン闘病時に描き増えた絵画を初個展 当時の家敷地内ギャラリーにて開催/熊本市 (アートキッスレター/熊本市現代美術館から取材掲載)
2002 UCC珈琲 熊本企画でのオーガニックコーヒーパッケージイラストとディスプレイ製作
2005 ギャラリーADO ドローイング含む個展
2006〜抽象的な映像が浮かぶようになる
2009 ブログの反応から絵をあらためて志す
絵の命名 母から私の誕生時の希望名みつい (mitu)とする
2010 風景画始め 個展2ヶ所開催  岡田珈琲電気ビル、島田美術館
2011 過去の絵にて熊本色の強いコンテンツとして一筆箋製作始め(一筆箋は2000年から製作)
2012 崇城大学 三枝氏グループ展 Genesis3出展
同僚の怪我手術と後遺症(2017現在も続く)アトリエの問題などにてブランク
2015 アトリエを借りるようになる
2015 神社にて改名 蘭太郎 -rantaro-
2016 4月熊本地震にて西原村の工房が被災 美里町にアトリエを移す
2017 1月~着物のしぼり染め、シルクスクリーン学ぶ
2月モナコ日本芸術祭出展 絵は熊本城復興祈願 4月にモナコより熊本県へ寄付のニュースを5月に知り願いが通じたと感じた

7月 東京都美術館へ熊本城出展 雪舟特別展
11月 熊本市にて会社の企画展にて個展開催
2018 5月~6月 ロンドン企画展へ阿蘇の絵を出展





rantaro 2016